First J-pop music video My life / JUJU
「PHOENIX」別名、Seishin Purcellは黒人のアメリカ人の父と日本人の母の間にニューヨークのマンハッタンで生まれ育つ。また黒人文化と日本文化の両方を学び、影響され育っていく。
PHOENIX(フェニックス)、(不死鳥)の所以として、燃えている火の中に飛んでいく不死鳥のように、また更に強い火と共に何かを掴み戻って来るそんな強さとチャレンジ精神を持ち前進するという意味を持つ。
彼は7歳でHip HopとBalletを踊り始め、14歳でB-boyストリートパフォーマーになりニューヨークのタイムズスクエアでライブショーを始める。その後、ニューダンスグループ芸術センターの奨学生としてモダンダンス、アフリカンダンスの訓練を受け、更にダンスに磨きをかけていく。
有名ナイトクラブ、EXITと呼ばれるニューヨークのクラブ、マンハッタンのSPEED、SHELTER(シェルター)、ブロンクスのクラブ X、ブルックリンのTEMPLE(テンプル)、クイーンズのクラブLIFE(ライフ)などで現在有名アーティストと活躍中のダンサー達と共にダンスを学び、究めていく。
18歳で最初のファッションショー「ECKO」ブランドのショーモデルとして多忙な日々を送り、ニューヨークやロサンゼルスのトップモデル会社とも契約。19歳で初舞台、その後多くの映画に参加、またMariah Carey出演映画「Glitter」にも出演する。10年以上のモデリング履歴、全米960以上のショー参加、2曲のミュージックビデオの振付け師、8つのテレビ番組、23作のミュージックビデオ、12作映画、ブロードウェーミュージカルにも出演する。
ダ ンス講師としては11年間の経験、米国での新聞記事にも取り上げられた経歴がある。大部分の人生を他の有名ダンサーやクルーと踊り、共に学んできた。また トップアーティスト達とのパフォーマンスやショーからいまの創造的で個性あるダンサー、ダンス講師、ディレクターとして導いている。そして現在、新たな人 生の挑戦をここ日本で試みている。

